京都旅行を振り返る。【夕食編】

「京都に来たのだから、京野菜をフンダンに使った懐石が食べたい!!」
と、京都最後の夜は京都市中京区・丸太町駅側の『御料理 光安(みつやす)』さんにお伺いしました。

“京町家にて、一日2組限定の懐石がいただける”という、とっても落ち着いた雰囲気のお店。
目印は、このランプ。
和紙に筆書きされた文字が、ほっこりとした気分に誘います。

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京都旅行を振り返る。【巽橋周辺のお散歩】

『桂離宮』に参観した後、夕食まで時間があった為に祇園四条駅から祇園白川周辺へお散歩に行くことにしました。

白川へは、駅から歩いて5~6分程度だったと記憶。
鴨川沿いではなく、繁華街を歩いていたので突然現れた白川に衝撃っっ

白川南通はこんなにも素敵なんですもの!!!

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京都旅行を振り返る。【桂離宮/後編】

前編 賞花亭より続く・・・

園林堂[おんりんどう]

扁額[へんがく]は、後水尾上皇[ごみずのおじょうこう]の宸筆[しんぴつ]。


またまた全体ではない画像ですみません・・・。

賞花亭を降りると、この園林堂の横に出る。
園林堂は唐破風[からはふ]の向拝[ごはい]をもつ持仏堂[じぶつどう]で、以前は桂宮家代々の御位牌や、初代智仁親王に今古伝授をした細川幽斎[ほそかわゆうさい]の画像などが祀られていたが、今は安置されるものはなく建物のみ残っている。

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京都旅行を振り返る。【桂離宮/前編】

━─【桂離宮】━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━
後陽成天皇[ごようぜいてんのう]の弟・八条宮初代智仁親王[はちじょうのみやしょだいとしひとしんのう]により、宮家の別荘として元和元年(西暦1615年)頃に『桂山荘』として創建。
親王が没せられ10年余り荒廃期があったものの、後に二代智仁親王が復興・増築などに取り組み、寛文2年(西暦1662年)頃までにほぼ現在の姿に整えた。
明治14年(西暦1881年)に十一代淑子内親王[すみこないしんのう]が亡くなられ、明治16年(西暦1883年)に宮内省所管となり『桂離宮』と称される。
創建以来火災などに遭う事も無く、ほとんどが当時の姿のまま、残っている。
参観は、先だって宮内庁に参観の申し込みを行う必要がある。
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雨の京都。
桂離宮は、桂駅からタクシーで1メーター(640円)程度。
桂大橋からだと、このような立て看板がありました。

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京都旅行を振り返る。【出発編】

一番の目的は初日に伺う【桂離宮】の参観。
webでの申し込みが完了してガックリしていたトコロ、友人がハガキでの申し込みが出来ることを見つけて応募してくれました。
申し込みが無事に承諾されてテンションは急上昇♪
その他は美味しい京都料理を食べる、神社仏閣でのんびりする、町をお散歩する。
限られた時間の中で、最大限楽しめたように思います(^∇^)
また京都に行きたくて。・・・時間が自由な母を誘い中です(笑)

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