11月初旬の京都大原/三千院。

11/4~の京都旅。
日付の順番は前後しますが、大原エリアからスタートします。

出かけたのは11/5。
大原へは京都駅or国際会館前からバスで一本で、私達は烏丸御池駅→東西線利用で国際会館前駅ルートを利用しました。
朝8時20分頃の国際会館駅の時点で既に肌寒く、吐く息がほんの若干、白かった。
3番乗り場から19系統のバスで、約22分程度で到着。代金は340円の後払い。
※バスは1時間に2本程度しかないので要確認です。

ドンドンと山間部を登っていくバス。
今まで大原というエリアは単に「遠い」というイメージしかありませんでしたが、このエリアの寺院について歴史を紐解いて行くと色々と感慨深く・・・。
特に、本堂を放火されたことが記憶に新しい『寂光院』が隠居御所であったり、『宝泉院』には伏見城の一部が血天井として供養されていたり。(伏見城の戦いは私の誕生日の日に始まっている)
知れば知るほど、大原は必ず立ち寄りたいエリアになり、歴史について学び直したい気持ちになった。学生の時、きちんと歴史と古文を受けるべきでした(苦笑)

三千院へは呂川の畔に続く細い坂道の参道を延々と登ってゆきます。
お店屋さんが建ち並ぶ中に発見。
大原女のお人形。シュール!!

▼到着した三千院門跡の御殿門(山門)。

▼拝観入口から客殿へ。聚碧園を望む。

こちらではお抹茶をいただきました。一服500円だったような、、。

▼宸殿では写経をさせていただき、往生極楽院へ向かう。宸殿前に広がる雄大な有清園。

宸殿西の間には木造救世観音半跏像(重文)、木造不動明王立像(重文)などを安置。

▼有清園を往生極楽院横より望む。

有清園の池泉に注ぐ三段式の「細波の滝」。見辛いですが画像右上の所です。

▼重要文化財で平安時代に建立された往生極楽院を、朱雀門より望む。

国宝の阿弥陀三尊像を安置する工夫として「船底天井」となっており、肉眼では確認しづらいですが極楽浄土に舞う天女等が描かれています(撮影不可)。
こちらでは、お坊さんが内部の説明をしてくださいました。
とってもお話が上手いので、笑いも絶えず、質疑応答もどしどしとする和気藹々さ。
阿弥陀如来様の両脇を固める菩薩様は、少々前かがみにひざまずいた「大和(やまと)坐り」をされていて、「今から迎えに行く、ちょうどその時の姿勢なんです」と、教えていただいた。
更に興味深かったのは、天井が真っ黒なのは蝋燭の煤であり、今でも薄っすらと壁画の一部を見ることができるのは、煤を掃わなかったからだそうです。
こちらの壁画は特別な機関に依頼し赤外線を当てて顔料等を分析、宝物館に復元・展示されています。
↓おみやげ物さんで流れていたビデオより。

▼朱雀門は、極楽院を本堂としていた頃の正門だったそうです。

▼有清園のわらべ地蔵さん。苔の深さにも感動した・・・!

弁天池の方にもいらっしゃった。その笑顔に癒される♪

▼金色不動堂に向かう階段の途中にある、弁天様。

▼金色不動堂。

本尊は、長い間秘仏であった金色不動明王像を安置。
手前の休憩所では無料でお茶をいただけます。
こちらのお茶は、金粉入りのしそ茶か梅茶。←日によって違うらしい
三千院で息災延命・不老長寿のご祈祷済みだそうで、休憩所の横で販売されています。量により@800円or1300円だったかな?
母「(最近は東京で買える物も多いけれど、コレは)ココでしか買えない」と大量購入してました(笑)

▼観音堂横の、石庭二十五菩薩慈眼の庭。

▼観音堂。

本尊として、三メートルの大きな金色の観音様を安置。
この時ちょうど、佐野市が観音堂正面に植樹をされていました。

▼石仏にお参りしてから、あじさい苑を通り、来た道を戻ります。杉苔が深い。

▼西方門を出て、境内を望む。

出た右手には客殿から続く写経場。壁にあった宗紋と紅葉。

そして、正面には先に出てきた宝物殿と、おみやげ物屋さん(立派なお手洗い付き)。
宝物殿では復元・展示されている「船底天井」の壁画と柱絵、今回の展示物である障壁画を観てきました。←どなたの障壁画かメモ忘れました
▼山門に戻る道すがら、客殿から写経場に続く廊下の窓越しに聚碧園を望む。

出口にはちょうどお坊さんがいらして
「4月20日頃の、桜が咲いた時期も綺麗ですよ」とお声掛けいただきました。
春も来たいなぁ~・・・・!!!

私はお抹茶を頂いたり、写経をしたり、写真を撮りながらだったので、3時間近く滞在していたかな。
緑深く、大自然に囲まれた三千院で、心がリフレッシュできました(^ ^)

 

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