殺陣; 藤澤アニキ
脚本;御竹龍雪、佐々木みつる
演出;黒羽さえり
出演;藤村源五郎/ 藤澤アニキ/御竹龍雪 /佐々木みつる/黒羽さえり /Licaco/ 嬉野雅道(講談師)
(以上敬称略)
会場;道頓堀 ZAZA HOUSE
戦国の時代、あの織田信長でも「悪事を平然とやってのける物騒な者ども」と恐れていた3人の武将。
美濃の斎藤道三は僧侶から油商人を経て、下剋上よろしく、一国一城の主へとのし上がる。
大和の松永久秀は茶人でありながらも、旧主家や将軍を暗殺し、東大寺大仏を焼討つ。
備中の宇喜多直家は主君浦上家の策略に対し、暗殺、毒殺、乗っ取りなどあらゆる手段を尽くし、浦上家を打ち宇喜多家を再建する。
“合戦場で両軍がにらみ合い鬨をあげ戦が始まり、また、神仏のご加護を掲げて戦をした戦国時代”は、死者を弔いながら、強い者・強い家系だけが生き残る。だからこその生き様を、源五郎一座が解釈を加え、息を吹く。
私はね、
斎藤道三が心底欲している名声を得るために、主君からの無理難題を、淡々と粛々と、まるでノルマをこなすかのように一軍の首を打ってゆく役者御竹龍雪氏の目にね、穢れなき狂気というか、渇望する故の高揚感というか、そういうものを感じ。
松永久秀は果心居士との逸話を交えた、茶人としての静けさと、数々の所業狂気との心の明暗対比がね。役者藤澤アニキ氏が見せる久秀の一時の心の凪が、より一層、生き残るための「戦国武将」として際立って見えた。
宇喜多直家の、何代も先の宇喜多家の存続を見つめ、自軍の体力を知っているからこその数々の策略。身内ならば心強くとも決して敵にはしたくない、役者藤村忠寿氏の姿はまるで生き写し。家臣に対してはなった「一人で事に当たるな」はものとても羨ましく、実に響きました。
また、そんな直家の妻・お鮮をされました役者黒羽さえり氏。なんでこの方はこんなにも死と隣り合わせの戦国武将の妻が似合うのでしょう。どこか儚げで、温かく懐が大きく、その所作は爪の先まで美しかった。
3本のお話の間には、ダンサーLicaco氏率いるおフェロダンサーズに、ずっきゅーん。
私のフェロモン成分が0なのは、きっと私の分のフェロモン成分をこの方々のフェロモンパラメータに注いだからなのでしょう? ねぇ、神様??
だから、ダンスチームが出てくると講談師嬉野雅道氏のほほの筋肉が緩み、鼻の穴が大きくなる、、、のは、まぁそーゆーことですな(笑)
今回も大満足の藤村源五郎一座。
演者の皆様、制作他スタッフの皆様。
今回もありがとうございました。
Njこと、西田二郎さんにもお目にかかれ、行って良かった。
私たち人間は生きている時の記憶を黄泉に持ってゆくことができます。
それは戦国時代から、今も変わらぬこと。なのかな。