京都旅行を振り返る。【桂離宮/前編】

━─【桂離宮】━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━
後陽成天皇[ごようぜいてんのう]の弟・八条宮初代智仁親王[はちじょうのみやしょだいとしひとしんのう]により、宮家の別荘として元和元年(西暦1615年)頃に『桂山荘』として創建。
親王が没せられ10年余り荒廃期があったものの、後に二代智仁親王が復興・増築などに取り組み、寛文2年(西暦1662年)頃までにほぼ現在の姿に整えた。
明治14年(西暦1881年)に十一代淑子内親王[すみこないしんのう]が亡くなられ、明治16年(西暦1883年)に宮内省所管となり『桂離宮』と称される。
創建以来火災などに遭う事も無く、ほとんどが当時の姿のまま、残っている。
参観は、先だって宮内庁に参観の申し込みを行う必要がある。
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雨の京都。
桂離宮は、桂駅からタクシーで1メーター(640円)程度。
桂大橋からだと、このような立て看板がありました。

この道の突き当たりには、立派な巨木。
左手には表門[おもてもん](特別の場合以外開かない)と、穂垣[ほがき]が続き、参観者用に開けられた 黒御門[くろごもん]より内部へ。

受付を済ませ、参観場所の紹介文と写真で構成されたパンフレットを頂く。
これでも充分ではありますが、せっかくなので、より詳しいポケットガイド(日本語Ver.英語Ver.修学Ver./一冊200円)の日本語Ver.をゲット。

出発までは参観者休所にて荷物をロッカーに預けたり(無料)、お手洗いに行ったり、参観ルートの紹介ビデオや、所蔵品の展示物(撮影不可)を拝見。
10分もしない位で案内くださる係りの方を先頭に、約1時間かけての参観スタート。
※写真撮影OKの場所が限られている(移動途中は安全の為に不可)ので、撮れた範囲です※

表門[おもてもん]

奥に見え・・・づらいですが、砂利道の先にあるのが表門。

 

御幸門[みゆきもん]

そこから続くのがこの御幸門。
御幸門の茅葺切妻屋根[かやぶききりつまやね]を支えているのが 棈[あべまき] という、コルク栓等が作れるブナ科の木だそうな。

外腰掛[そとこしかけ]前の、延段[えんだん]


外腰掛は、茶室の松琴亭[しょうきんてい]の待合い腰掛で、雪隠(トイレ)が付いている、吹き放し。
延段は、自然石と切り石とで構成されています。※見えているのが、案内の係りの方


外腰掛の正面には、蘇鉄山[そてつやま]があり、お庭を隠す目隠しの役目を果たす。
この蘇鉄は島津家から贈られた。


外腰掛手前の石灯籠や庭石も味があります。

 

洲浜[すはま]と天の橋立と松琴亭[しょうきんてい]
画像の左手に見える、池の中に突き出しているのが洲浜で、先端にある灯篭を岬の灯台に見立てて、海を演出。
その先にある小島と石橋が繋がっている部分は、天の橋立に見立てたもの。
その更に奥、画像右手上にあるのが桂離宮の中で最も格の高い茶室・松琴亭。

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画像左>松琴亭にある、北側廊下の竈[くど](かまど)と一の間内部。襖の白と青の市松模様は斬新。
画像右>竈を背に、庭を見たところ。


松琴亭一の間は十一畳。市松模様の襖の奥が、ニの間。

賞花亭[しょうかてい]

 


全体ではない画像ですみません・・・。

池の島の上に位置し、峠のお茶屋風で園内で一番高い場所。


この賞花亭に登るまでは飛石を伝いますが、その途中にある水蛍[みずほたる]という名前の石灯籠があります。


賞花亭内に座り、お庭を眺める。
先ほどまで居た松琴亭が見事に隠れ、違った表情の庭が現れました。

後編に続く・・・。

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