一つの恋が終わった。
幻滅したとか、撃沈したとか、そういうハッキリしたカタチは見えなかったけれど。
とにかく、終わった。
それも、いとも呆気なく。
あんなに苦しんでいた自分が、まったく馬鹿馬鹿しい・・というのは、過去の自分に失礼だけれど。う~ん、、、何ていうか、、、。
そう、もしもタイムマシーンがあって、過去の自分にアドバイスできるならば 【今は苦しくても必ず成長した自分が待ってるから、大丈夫】 って、肩をポンポンと叩いていただろう。
きっと聞く耳持たない過去の私は、怒った猫のように背中の毛を逆立てて フギャーーーーーーーーーーーー ってするでしょうけれど。
そんな人の親切を受け取れない、余裕の無さに毒づいて 【この人じゃないよ】 なんて、とてもとても言えやしない。どんな反撃食らうか・・・予想できないもの(笑)
人生、大いに悩んで、自分の気持ちがスッキリする場所に、たどり着けばイイ。
いくら効率の良い考えが浮かんでいても、ココロで受け入れられなかったらソレは非効率。遠回りしてでもいいから、自分が納得行く形で、ココロで受け入れなければ。
去年の夏頃、自分は疲れきっていた。何か、自分を救い出すモノを探して、手を伸ばしてはもがいる姿が、今雨音と共にハッキリと見える。
もがきながら、それでも現状を打破できないでいたワタシは、自分の足りない部分を持つ人と出会った。失敗を恐れず深い情熱を持って、大切な人を、自分のライフワークを信じ、愛する人だった。
一言で言えば 【理想の人物】 。大げさに言えば 【白馬に乗った王子さま】 ってトコロだったのかな。
自分に持っていないモノが輝いて見え、その仕草に一喜一憂するコトが、楽しかった。ゲームのように感じて、刺激になっていた。
そう、これは些細な日常を楽しませるスパイス。
スパイスは少量でもピリリとしていたはずだけれど、慣れてくると次第にその分量は、多くなる。段々と量は増え、そのスパイスに痺れて、無いとそっけなく感じ、やがて常習性が出て、手放せなくなる。
次第に湧き上がるのは、所有欲。
それと同時に、ココロと頭にはエクササイズとして作用しはじめ、文字通りソレラに思いっきり負荷をかけ、筋肉痛になりながらも、自己アピールする術を探し、実行し始める。
筋肉痛は自分主体で動く些細な動作ですら多々悲鳴を挙げさせた。そんな悲鳴を友人に吐露してみたところで、何の解決にもならないず、もどかしい日々はまったくもって、嫌になる。
この嫌さ加減が、自分と向き合うキッカケを与え、
求めてしまう原因は何か? どうしたらこの状況から抜け出せるのか?? そもそも、もがく理由の根拠は???
疑問-回答-疑問-回答を繰り返し、段々と原因に近づいてゆくにつれ、ぞっとした。
ご都合主義。都合のいいところだけが、ワタシは欲しかったのだ。
なのに悶え、七転八倒しつづけ、友人の言葉に、暖かく包まれては、また自分を奮い立たせ、春が来た。フと、自ら迷宮に入っていった、あの時の安易な気持ちを忌々しくも思いながらも。一日一日を、過ごす。
眠れない日もある。友達とバカ騒ぎする日もある。仕事で直面するストレスもある。
何もかも、待ってはくれないけれど。
時間と共に、人は歩いているんだと気付かされる、目に見えない、ほんの小さな積み重ねが。ついに、大きな変化をもたらすところまで、来た。
ほんの一滴の水が、コップを溢れさせるように。
ほんの一粒の砂が、天秤のバランスを変えるように。
一つの恋が、終わった。
とても呆気なく。
それでいて、清清しく。
ちょっとだけ、寂しいキモチを残して。
「雨だれ石を打つ」と、先人は上手いこと言うもんだと、雨の音を聞きながら、空を見上げる。厚い雲が、空を覆っている。明日には、雨は止むだろうか。空は顔を覗かせるだろうか。
と、呑気で居られる コタエが出る というコトは、なんて素晴らしいんだろう。ココロにもゆとりが生まれ、ついでに、新しい感情が生まれたから名前を付けてみた。
友愛。
「アナタ、幸せになんのよ。」なんて、もう上から目線。
「ワタシも、幸せになる。」自分に対しての宣言。負けて、らんない(笑)